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2013.05.27 (月曜日)

警防団員殉職の碑沿革・由来の案内板設置

   第2次世界大戦中、松並に投下された不発弾の処理中に爆発し、警防団員11名と兵隊2名、巡査1名の計14名が殉職され、その慰霊碑が消防団第6分団詰め所前に建立されています。
今回、消防団後援会と管轄内の町内会のご支援で、沿革・由来の案内板を設置することになり、今朝、設置が完了しました。

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                           警防団員殉職の碑

沿革・由来
 第2次世界大戦中、大村は海軍基地及び第21海軍航空廠が所在した関係上、30数回の爆撃を受けた。その間、警防団員は昼夜の寝食を忘れて人名救助と防火に尽力していた。ところが昭和20年5月20日午後4時ごろ、市内松並郷銭壺に投下された不発弾の処理中、突如爆発し警防団員11名、兵隊2名、巡査1名の計14名が一瞬にして肉塊と化し、壮烈な殉職を遂げられた。その霊を弔うため、大村純毅市長の提唱により、関係者の協力を得て本碑が建立された。

  建立年月日 昭和32年5月20日
        (西大村本町旧六分団詰所横)
  現在地移築 平成4年5月20日
  揮 毫   大村市長 大村純毅(当時)

  管 理   大村市消防団 第6分団
  慰霊行事  毎年5月20日 第六分団主催慰霊祭
  (註)「銭壺とは現在桜馬場1丁目九州教具と桜馬場団地の境界付近)

「当時の不発弾の弾頭」
 平成の始めの1995年頃、爆発現場付近の工事中、250キロ爆弾と思われる爆弾の弾頭が発見された。陸上自衛隊大村部隊に鑑定を依頼したところ、戦時中のアメリカの250キロ爆弾に間違いないと言う結果の報告を頂いた。また、投下時に爆発していれば弾頭はこの様には残らず、地中に突き刺さった状態で後部信管操作中の爆発だったため、弾頭部分が残ったとのことである。

           碑銘板
              平成25年 5月20 日
                   大村市消防団第六分団
                   大村市消防団第六分団後援会

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